来る日も来る日も、飽きもせず、よくぞ毎日、ブログを更新しているものだ。
と、つくづく、わが駄ブログを見てそう思う。
(好き勝手、書いているだけだが)
ブログ仲間内では、もう、とっくに終わっている、冷めた話題を、蒸し返し、深追いしてみたり、
タイムリーな熱い話題には、ぜんぜん、乗らなかったり、
時機を読まない、あいかわらずのマイペースを貫いている。
わたしには、どこまでも果てしなく深く、内省的に掘り下げる能力が、あまりない。
ちょっと反省しているフリをしているものの、顔は日本的だが、思考回路は、実は、ラテン系だ。
ぐじぐじ、しょうもないことに囚われ、ぐるぐる同じ場所を何回も回っていたり、
そういうパターンには、よく陥る。
時間と労力の消費以外の何ものでもない。
本人は、考えている、熟考しているつもりなのだが、
じつのところは、事態が動き、出るタイミングを計っているだけだ。
あまり、深くモノゴトを考えられない、脳ミソを持っているようだ。
もっと、もっと、浅い考え方の人もいると思うけれど、
考えたって、考えなくったって、結果は、また別ものだったりする。
なるように、なる。
最悪の事態を想定し、回避する策を講じ、状況に応じた最善策を練るのがベストだろうけれど。
一生懸命、考えようとするのだけれど、
どうも、ラテン系がジャマして、トマト投げで大はしゃぎ、みたいなノリになってしまう。
やるだけのことは、やった。
あとは、天命を待つのみ。
そういうことが、できない。
やるだけのことは、やった。
ただ、そのやったこと、内容、レベルは、けっこう、幼稚で、小さくて、え? なんだ、それ?みたいな中身で、
人には、絶対言えないような、奮闘ぶりで、ドジぶりで、
小さいところを、キャンキャンと駆け回っているだけ。
本人は、頑張っているつもりなのだが、あまりにも、傍目からみると、頑張っていないように見える。
見るに見かねて、まわりが手助けしてくれて、そうして、またまた苦労する機会を失い、辛酸をなめそこない、
ずっと、幼稚なまんま、大人なんだか、子供なんだか、わからないまま、年を重ねてしまう。
醇厚やら、醸成、熟成とは、かけ離れた、へんな、おばあさんが、長い年月をかけて造られる。
その割には、恥にはけっこう強い。(恥という認識がない)
打たれ強い。ダメージには、強い。
あまり、めげない。
いままで、あまり、幾多の苦労を重ねてきていないので、それがコンプレックスといえば、コンプレックスだ。
(まわりが、苦労を強いられている可能性はある)
自分だけを取り上げると、ほぼ、ゼロだ。
能力やら、パワーやら、やってきたことやら、
暑期數學班
価値やらは、やたら低い。
ただし、核は、ある。
でなきゃ、生きていけない。
自分は、人に恵まれている。いい人ばかりに、助けられている。